美しいものの価値・・・
この大徳利は小林東五師の対馬に開窯なさって二、三年経た頃の作品で、使い始めて四十年を越しました。お酒を入れた後、しっかり水洗いして乾かし、水を張ってしばらく置き又乾燥させてを繰り返し、お酒の匂いが残らない様になってから食器棚に戻す。そうしている内にこんな李朝かと思われるような風合いになりました。器を育てるということはこんなことかと思います。その間の大変で面倒な作業をたのしんでしまわない限り不可能なこと、湯呑やお鉢などは徳利ほど面倒はなくても少なからずこんな作業は必要です。
口の白土が少し剥がれているのも、ヒビの入ったところから白土が釉ごと剥げ落ちているのも、気にならないどころか美しいと思えるのは私が日本人の感覚だからかもしれません。この頃の韓国のお人や中国の方、他の外国の方(一部の方を除いて)はひょっとするとこんなものは割れものと思われるかもしれません。謂わば日本人独得の感性なのかもしれません。作者たちはその狭間で揺れながら、この魅力にとりつかれているのです。
美しいものの価値って何なのでしょうか・・・。
工芸店ようび 店主 真木
店主に「粉引の思い出を何か書いて下さい・・・」とお願いしたら、こんなすばらしい粉引を見せてくれました^^
しっとりしなやかな粉引です。
口の少し剥がれた部分も、剥がれてから時間が経ったのか、すっかり周りとなじんでいます。
時間を掛けて育てる・・・。
うつわを手にした者の役目ですね^^